今日も世界の片隅で

しばしの英国暮らし。地域社会とチャリティについて肌感覚で感じたこと。

コミュニティカフェについて考える

 さて、先日行ったコミュニティカフェを再訪。

連れ合いと話し込みたい人は小さなテーブル席へ。

誰とでも雑談OKな人は大テーブルへ着くようだ。

今日も大テーブルの席へ友人と座って雑談を始めたら、早速隣の席のおばちゃんが会話に入ってきた。

 

教会*の一角のカフェスペースを使い、支援の必要な(発達障害などを持つ)大人が店員として働くカフェに、地域の(主に)お年寄りが集う。

Adults in needsの就労支援と地域の高齢者支援、対孤独孤立支援が同時に成り立っている。

お客さんはリーズナブルに温かい食事が取れて、会話を楽しみに集まってきている。

この値段設定はチャリティーによる費用か原材料の支援あってのものだろう。

地域社会に生きる人々が、チャリティという観点で、支援する、されるの関係の両方の役目を担っていて、それはもう絡まった網目のようであり、支援する、されるの枠組みを超えることで暖かなコミュニティが存在できる、そんな気がした。

 

*教会はキリスト教徒の多い国で地域社会の中で一つのコミュニティのハブとして機能している。毎週末の礼拝、その後の食事会、平日はコミュニティの活動の場(幼児のプレーグループ、認知症カフェ、趣味の集まり、英会話教室など)としての地域での役割も大きい。

 

ふらっと寄れる行きつけの場所、そこに行けば誰かと他愛なくおしゃべりできるそんな場所がここにもあった。