今日も世界の片隅で

しばしの英国暮らし。地域社会とチャリティについて肌感覚で感じたこと。

個人に息づくチャリティ精神(カフェのおっちゃんの話)

前回書いたコミュニティカフェで相席したおっちゃんの話を書きたい。

私たちの大テーブルに後から来たおっちゃんが相方に愛想よく話しかけるのでてっきり顔見知りかと思ったら、単に誰にでも話しかける雑談好き。暮らしてみて思うのだけれど、イギリスの男性、雑談上手&楽しんでいる人が日本より圧倒的に多い。

私達と90度の位置に座った彼は、ガッチリした体格ながら、つる禿頭にまん丸お目目の好奇心旺盛な瞳が可愛らしい初老の白人男性だった。

 

長年、マッサージ(muscle massageと言っていたので、いわゆる筋肉をほぐすマッサージだろう)を生業にしていたけど、年齢的に引退したそうだ。だけど、娘がせっかくのスキルを活かした方が良いと提案し、自宅にマッサージ専用の部屋を作り、今は”Healing for Charity”と称して無償でマッサージを提供しお代の代わりにお客さんには支援したい団体に寄付してもらっているという。寄付する余裕がなければ「今日は会えてよかった」ということで構わないんだよと彼は微笑んだ。連れ合いを病で亡くし独り身で、もう生涯過ごしていけるだけのお金はあるからととのことだった。

 

宣伝はしておらず、今までのお客さんや近所の人、そこから口コミでお客が来るという。マッサージ部屋のベッドやタオルなどの備品も全て周りの人が提供してくれたそうだ。(ここにもイギリスのチャリティ精神が垣間見える)

 

なんでこんな身の上話になったのかというと、私が日本人と知って「俺、レイキやってるんだよ、’Healing for Charity'でレイキの手当てをやってんだよ」という話になったからだ。

レイキは海外の方が知名度の高い日本発祥とされるものの一つかと思うのだけど、かろうじて知識があって良かった。。

 

さて、イギリスの地域社会にはチャリティが溢れているけど、今まで、どこかのチャリティ団体に属したり、応援したりというイメージだった。だけど今回おっちゃんの話を聞いて、チャリティの精神って個人の中に息づいていて、個人の思いつきで、団体とか学校とか関係なく個人で行動して成り立つものなんだと知った。